こんにちは。三木真紀です。
少し前に、東吾妻町出身の画家、水野 暁氏の話を聞く機会がありました。
(当日は写真を撮らなかったので、別の日に着た同じワンピースの写真↓)
印象に残ったのがこの言葉です。
『物のカタチを見るのではない。物の存在を感じるのだ。』
師事されていたスペインで活動されていた日本人画家、磯江 毅氏の言葉とのこと。
美術の世界はまったくの素人ですが、『存在を感じる』という感覚がしっくりきたのです。
自分のコーディネートを考える時も、お客様のスタイリングを組む時も、空間から考えます。
その空間に身を置いたその人(もしくは自分)の存在が魅力的に見えるか?をイメージしていくのです。
空間というのは、物理的な場所のことでもあるのですが、同じ空間でもいろいろな要素の影響で、まったく別の表情に見えることがよくあります。
その場所に行く目的や時間、そこにいる人々の気配、気温や湿度、音の響きや匂い、などのエネルギーを受けて波動のようなものが変化するのだと思います。
その変化を予測して、その時間その場所にいるその人が、どんな装いをしていたら調和するのか?
たとえば、自分が主役の役割なのであれば、だれから見ても「私が主役よ」とわかるスタイリングを考えます。
そうすることで、空間とも立場とも周りの人とも調和がとれるからです。
主役とわからないくらい地味な格好をしていると、周りも何を着たらいいか迷いますし、サービスを受ける際に、提供する側もどう接したらいいのか理解しにくくなります。
別に主役がいる場合は、その場に華を添えるようなスタイリングを組むようにします。
たとえば、事前に主役が着る服がわかっている時は、それよりも控えめで、かつ場に合うような華やかさを意識します。
これが服から考えると上手くいかないことが多いです。
その場に立った時に、足りないか、やり過ぎるか、のどちらかで、その人の存在と空間が調和しなくなります。
『物のカタチを見るのではない。物の存在を感じるのだ。』
服は物であって主役ではない。
空間にいるその人の存在を感じてコーディネートをイメージする。
私の場合は、空間全体からプロデュースするような感覚なのだと思います。
そういう意味では、ファッションも芸樹表現の1つとも言えますね。
音楽や舞台や美術、答えのない世界をたどるのは楽しい!
新しい世界をもう少し探してみることにします。